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瑠璃宮跡地で歴史を感じてみた

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絵:瑠璃宮跡地(瑠璃ヶ丘町)

奈良の歴史を感じに歩こう

徒歩で空地空家調査をしてますと、様々に歴史を感じさせる風景に出会うことがしばしば。

こちらもその一つ。

奈良市五条3丁目から2丁目へと歩みを進めて参りますと、住宅街にふと目に留まる史跡がありました。

それが最初の画像です。ちょうど五条2丁目から3丁目に向かって歩くと分かりやすいのですが、私が歩いたケースですとちょっと見落としやすいかもしれません。
それだけ、住宅街に溶け込んでいます。

しかもよく手入れがなされていますので、近隣の方々に愛され続ける史跡なんだなと暫く足を止めて、思いを巡らせてみました。

決して、調査をさぼったわけではないですから!

階段を上がると、こんな石跡が。

絵:瑠璃宮跡の石跡(撮影by iPhoneX)

取りあえず何の跡なのか分かりませんので、説明文を読むことに。


絵:瑠璃宮跡の由来(文字がかすれてきてます)

へー、薬師寺に関係あるのか・・・。
近いけど、結構薬師寺まで距離ありますよ、ここまで。

当然、当時はこのような宅地ではなかったはずですので、時の権力者がここに建造物を建てたということも考えられます。

薬師寺の南西には「大池(奈良市七条2丁目)」という素晴らしい池があります。

文章にもある通り「孝謙天皇がこの離宮で静養、文物を楽しまれた」とありますので、きっとこの「大池」を眺めながら、詩でも詠まれていたのではないでしょうか。

全然文献がない?!

はい、この瑠璃宮跡に関して、調べだして分かったのですがほとんど文献が残っていないようなのです。

正直調べるまでは「ウィキペディアには載ってるだろう」と思ってましたが、あるはずもなく・・・。

あるサイトでは住所を五条西瑠璃ヶ丘町と記載されていました。でも調べてもないんですよね。その地名が。

一応不動産会社ですので、大きな地図や細かい地図を持っていますので、調べてみたんですけどね。

一応、地図には「瑠璃宮跡」という史跡が載ってます!ぎりぎり六条町に入ってました。

きっと図書館などに行かないと深くは調べきれないのかなぁと思います。

ただ、由来にも「離宮ヶ丘町」と名付けられたとありますので、きっと離宮ヶ丘町が正しいんだろうな。

こうやって町に根付いた歴史は、ココロを揺さぶります。

みなさんも、たまには徒歩で奈良の歴史を探してみませんか?

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